古代からの呼吸法
日本の古神道の呼吸法には、まずは吐ききることで自身を無にし空の状態を作り出せれば、自然に「吸う息」が次にやって来るとの考え方があります。
これは事象を自然体で受け入れて行く東洋的な哲学に沿っていると思います。
すなわち呼吸とい字は読んで字のごとく、まずは吐くことで吸うを呼び込む状態を作り出そうとの考えを表しています。
例えば読経や祝詞というセレモニーはマントラが持つ高い波動を手放すことで神への祈りを捧げ万人の心を清め癒す行為だといえますが、同時にマントラを唱える本人のレベルでは二酸化炭素を大きく手放しながら、雑念や迷いを吐く息と共に手放し空にしていく作業も成立します。
さらに手放した声を自分の耳や身体に響き渡らせながら受け入れることで心身ともに浄化されていきます。
つまり、ある心の極みが手放され、伝えられ、明け渡されていく世界は、まずは吐く息・手放す行為からスタートできることを表しています。
古代より宗教的な儀式にはこのようにして、謡うことや手を叩くこと、あるいは楽器を使い音を吹いたり叩いて出すために吐く息を使ってきました。
ダンスを踊り、舞を踊り、身体的な動きとしても"手放す=表す行為"が成立してきました。
そして、大きく吐く息を使った後は効率よく吸う息を実現させることが大切になってきます。 このやり方を練りあげていけばやがて質の高い美しい呼吸の世界が成立することでしょう。
子ども時代から成長する吐く息の質
ところで高い精神性や宗教性とは無縁の子ども達はどのように吐く息を使い、吸う息を実現しながら呼吸の世界を知るのでしょう。そして、呼吸の体得と成長はどのように促されたり、さえぎられてきたのでしょうか?
大声を張り上げながら走り回る、大声で笑う泣く、大声で歌う、物を叩く、太鼓を叩く、カスタネットを叩く、ピアノの鍵盤を叩く、お母さんをぶつ? ・・・などなど。
子ども時代のこれら手放す行為の大きさや頻度がその後の吐く息の質と深く関係していると私は考えています。しいては吸う息の質にも関係していくのは自然の理です。
こうして呼吸全体の循環の質が作られていくと考えています。
呼吸は肺という臓器によって酸素を取り込み二酸化炭素を手放すことで成立します。
しかし、肺そのものは自律して動くことはできず胸の筋肉の伸縮と横隔膜の上下運動によって活動できる仕組みになっています。
ですから運動することにより胸の筋肉の働きを高めることが肺の機能を成長させ、腹の底から笑ったり泣いたりする感情力が腹圧を変化させる横隔膜の上下運動の高め、肺を押し上げたり広げたりすることで呼吸の質を決めていきます。
子ども達は遊びを通じて大声をあげて動き回ることで、胸の筋肉を刺激し発達させ心肺機能を高め、腹圧を変化させながら横隔膜の上下運動の高めていく可能性があります。先に述べた様々な手放し方を通じて吸う息の質も高めていくことでしょう。
このやり方に伴い呼吸の大きな循環が育っていくはずです。深呼吸ができるできないは子ども時代にいかに楽しく遊びながら気持ちを楽しく手放していけたかという体験に裏打ちされているかもしれません。
豊かな感情表現と深呼吸
子ども達が大声で笑ったり泣いたりするとき、体ごと揺さぶるように、あるいは震わせるように気持ちを表現していることにお気づきでしょうか?ときには転げまわりながら笑いが止まらず、ときには激しくしゃくりあげるように泣き続けます。
笑うという行為は二酸化炭素を大きく吐きながら楽しさ可笑しさを手放し、副交感神経を刺激します。腹から笑った体験がある人はその時自分の身体がどんな風に反応したか想像してみてください。
無邪気に笑うというやり方がどれくらい大きな吐く息をつくり身体を揺さぶったかがおわかりでしょう。
腹から大笑いした後はほんとにお腹がすきます。これは腹筋の運動と共に内臓までも刺激し副交感神経が活発になったおかげです。
こうして大きく笑いを手放した後は食べ物でさえ受け入れる体制が出来あがるというわけです。もちろん呼吸全体も大きくなっているはずです。
一方泣きじゃくるやり方は泣き声と共に悲しさや悔しさや辛さ、痛さを二酸化炭素を吐きながら手放していくため、感情を大きく揺さぶられることになります。
このことが一気に感情を高め交感神経を刺激します。交感神経が活発になると吸う息は大きく激しくなっていきます。
そして大きく生まれた感情的なストレスは涙として液体のレベルでも手放されていきます。
このように泣きじゃくるとういうやり方は自ら感情の緊張を高めていき、同時に大きくその感情を手放していくやり方なのです。
手放しきった後は大きなリラックスが訪れます。激しく交感神経を使った後にはそれに見合った副交感神経が生まれたということです。
子ども達は大泣きした後はけろっとしてまた笑い始めます。赤ちゃんであればすやすやと安らかに眠ってしまいます。
感情を味わって行くプロセスをどれくらい許容し可能に出来るか?その中に大きな呼吸を作り出すエッセンスが含まれています。これがその後人生において深呼吸ができるかどうかの鍵を握っているような気がします。
意識的に呼吸する
感情を味わって行くプロセスをどれくらい許容し可能に出来るか?は、親や教育者や環境、そして社会から許されたり禁止されたり制限されたりすることで深呼吸の雛形を作りかねません。
呼吸には意味があって「吸う息」は受け取る、「吐く息」は手放す・与えるという私たちの気持ちの在り様がそのまま呼吸のバランスになって表れてきます。
過呼吸も吸ってばかり、吐いてばかりと2つのタイプに分かれますが、普段の呼吸への意識が「吸う」「吐く」のどちらにバランスされているかで過呼吸のタイプも違ってきます。
私たちの呼吸にはさまざま癖があります。私たちの育ってきた家庭環境や地域的な文化背景や社会環境によって呼吸はどんどん変化して行き呼吸の癖を作り出していきます。
過度に酸素を取り込んだり、過度に二酸化炭素を手放したりすることも実はバランスの崩れた大きな呼吸、つまり自分の癖が現れた深呼吸といえるでしょう。
実は自己救済のための深呼吸を身体が自動的に引き起こそうとしているのですが、残念ながら私たちはそれぞれに心の癖を持っていて、その癖に従って呼吸をしてしまうということなのです。
そして、自分の癖を反映した呼吸が、残念ながら自分自身を驚嘆させてしまうわけです。人によっては呼吸そのものに対してパニックを作り出してしまいかねないわけです。これは長年に渡って構築してきた自分の『心のバランス=呼吸の癖』に逆襲されたような状態です。
深呼吸ができないと感じる人、呼吸が浅いと感じる人は一度、自分の心の癖に気づいてみてほしいと思います。自分の心の中に「受け入れる」質と「手放す」質がどのようなバランスで出来上がっているのか感じてみてください。それと同時に気持ちよく大声を出すことや大きな呼吸を必要とする運動もしていけば、それにつれて呼吸の癖も変化して行くことでしょう。
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