マタニティブリージングONE DAYワークと縄文の道  

 マタニティブリージングは通常3回に分けて1週間のインターバルを2回挟みながら日常的に意識的呼吸が活かされることを目指しています。

 一方、毎週でかけて行くことが困難な地域では不定期に1日ワークを開催させて頂いてきました。過去に神奈川県、石川県、福岡県、沖縄県と東京を境にして西の地域に集まっています。

 開催回数としては圧等的に神奈川、福岡が多くなっていました。

今年の4月に初めて山梨県の北杜市のほくと助産院で開催の運びとなり、今月11月29日で計5度目の開催となります。こんなに通うことになるとは思ってもいませんでしたが、福岡、石川、山梨、神奈川を点として線で結んでみると、縄文時代の海と陸の道が見えてきます。

 これに沖縄を加えると沖縄の東シナ海側を北上した黒潮は九州鹿児島を境に太平洋画の黒潮本流と日本海側の対馬海流とに分岐し、2つの海の道が出来上がります。この2つの海流に乗って縄文人たちは舟を使い自由に行き来していました。

その海の道の大きな拠点となる沖縄、福岡、石川、神奈川で縄文土器は発見されることや狩猟採取生活に欠かせない斧や釣り針の原料として使われた黒曜石は太平洋沖の島々から神奈川、山梨、長野へ持ち込まれたことがわかっています。

 3年前福岡の志賀島へブリージングセラビスト養成のために半年間通いましたが、この島の先祖は阿曇族と呼ばれ、長野の安曇野もその一族が移り住んだ場所であることから現在も地名として残っています。この一族は石川県経由で内陸地に入ってきたようです。

 北杜市は山梨県と長野県の県境に位置していることから縄文時代は八ヶ岳山麓の大文化圏として存在していたことでしょう。そのあたり一帯からは富士山も眺望でき海側への進出あるいは交易の地域へと向かうための目印となっていたはずです。

  

 こうして縄文の海の道と陸の道を十数年かけて私は辿っているわけですが、8月にほくと助産院で1日ワークを行った時に参加して下さった助産師さんの一人が沖縄のゆいクリニックで働いていた経緯から、その沖縄でもやってくれませんか?という展開になりました。ワークの内容がとても面白く、きっと沖縄の助産師さんたちも興味を持つはずなのでという軽いのりでご紹介頂き、来年1月31日開催が決まりました。この決定とともに感じたことは、縄文の海の道と陸の道を幾度も結びながら縄文以来の命を繋ぐための知恵と実相を沖縄で得て各拠点に持ち帰りたいというものです。

 

 縄文土器の文様のモチーフに使われたマムシ、イノシシは多産への祈りが込められており、竪穴式住居の入り口に埋められた石棒と瓶(土器)は道祖伸の原型とも呼べるもので祖先の再生と新しい命の誕生を重ねあわせた祈りの象徴でもあります。そのことを物語るものとして、瓶(土器)の中から胎盤が発見されています。その風習は戦前まで続いていて農家の土間の入り口に産めたり、井戸に放り込んだり、山に埋めたり、神社のご神体にしたりと各地域で呪術信仰の象徴的な儀式の1つとして伝えられてきたと考えます。縄文人達の生きとし生けるものに対峙するときの敬虔な眼差しと大らかさは生産や所有の概念を中心としない狩猟採取の共同生活の中で自然発生的に生まれたものだと思います。

 そして、人と人を人と自然を人と神々を隔てることなくない交ぜにした縄文時空が沖縄には心の原風景として残されているような気がします。


 沖縄は出生率は全国の中で37年間一位ですから、日本の少子化の問題解決のヒントが在るはずです。そのヒントは生産性や経済や制度にあるのではなく、自然風土や生活環境や人と人の繋がりの深さにあり、その由縁から育てやすさへと繋がっていると、すでに様々なデーターから導き出されています。

 しかし、その結果をうけて育てやすい地域づくり・コミューン作りに着手しようとすると、人作り、人と人を繋ぐ基盤作りの最小単位である家族作りをしなくてはならないことへ気づいてしまいます。そのことに気づいてしまったら、少子化問題の底の根深さ、そして現代社会が失ってきたものの大きさにたじろいでしまうことでしょう。根本から立て直す猶予はもはやない事を言い訳にして早急に制度作りへと舵きりをしているのが日本の現状でしょうか。

 

 出生率ナンバーワンの沖縄から学ぶことはやはり経済体制や制度ではなく自然風土や生活環境や繋がりの深さ、そこから生まれる育てやすさは実は何をルーツとして今に繋がっているのか?を探ることにあると思います。その答えはやまとんちゅうが忘れ去った時空を取り戻すこと、もしくはDNAの中でくすぶっている縄文の遺伝子にスイッチをいれることにあるように思いますが、それらを呼び覚ますために命が生まれやがて死を迎える瞬間やその予兆をもっと身直に日常的なこととして感じられる生活に戻ることが早道です。生と死は命を獲得したり喪失したりする通過儀礼でもありますから、そこに祈りが介在するのは自然なことでしょう。

 

 いまや生と死の瞬間あるいは予兆が混在し感じられたり見たりできる場所は圧倒的に病院という場です。ここから生と死を私たちの基へ取り戻す必要があります。さらに取り戻す受け皿としてふさわしいのは老いも若きも暮らしている家だと言えます。その家の中という場で新しい命を迎え、みんなで育む環境へできるだけ近づけることではないでしょうか?

 自宅出産はそういう意味では理想の形です。そして助産院は自宅の延長線上にあり、病院と自宅の間に位置していて、各家庭の日常を持ち込むことが許されている場だと言えるでしょう。

では、病院と病院でない場、その線引きはどこにあるかというと、

お産を病気扱いしないこと、お産に薬を使ったり道具を使う医療介入をしないこと、産婦の身体・お産の体位は自由を保証すること、へその緒は早期に切らないこと、早期母子接触(カンガルケア)を行うこと、胎盤は後陣痛によって自ら出てきて命を全うすることを見守ること、母児同室、産後も母乳育児を中心に母児のケアを行うにあります。

 

 来年、沖縄開催の場所として機会をいただいたゆいクリニックは名前の通り医療施設なのですが産科と小児科が両方そなわっている先進的な医療施設なんです。

つまり妊娠・出産・子育ては一気通貫で母児に寄り添える体勢が整っています。しかも上記の自然なお産であることを示す項目はすべてクリアし、異常分娩や緊急に帝王切開などの必要性があるとき搬送の必要がなく部屋を替えて処置を行います。しかも特出すべきは帝王切開で誕生した赤ちゃんの早期母児接触も(父も)行っていることにあります。それらの取り組みは母と児と父、人と人、人と自然、家族とと地域を妊娠・出産・育児を通じて「結び」・沖縄の言葉で「ゆい」のお手伝いをすることをゆいクリニックは経営理念として掲げていることにあります。その理論を島袋史院長が打ち立て、その体勢を実踐的に支えているのが助産師さんたちです。産後の母児の心身のケア、必要があればお産の段階から加わるのは小児科医・島袋先生です。産科と小児科の連携ももちろん「ゆい」理論に根ざしてます。それと医師のお二人はご夫婦ですから夫婦の「ゆい」も実践されてます。


この「ゆい」の心は私的に縄文の匂いがぷんぷんします。

そこから何を持ち帰るか?


今は気張らず、行けばわかるさと楽しみにしています。

 

 最後にひと言。沖縄、福岡、石川、山梨、神奈川は縄文の痕跡が色濃く残っていることはおわかり頂けたかと思いますが実は沖縄と山梨を除いた他の県は助産院開業の多い県でもあり福岡、神奈川は出生率も上位です。ほくと助産院は北杜市30年ぶりの出産施設だとのこと。この1つの点が置かれたことによりまさに縄文の道が海と陸で復刻され、新たなる開かれたお産・誕生の未来へ向けた産道とならんことを願っています。