呼吸の學校 学長&マサセンセィ 前田正秀
1956 山口県防府市に1.800グラムで生まれる。
母子手帳には2.000グラムと記載されている。200グラムは医師の温情だとのこと。
1974.3 山口県立防府高等学校を卒業。
1974 .4 立命館大学産業社会学部入学
1980.3 横浜映画放送専門学院卒業し、自主映画製作時代に入る。
1984.7 16m60分映画「喝華」で監督デビュー。すずなり壱番館、渋谷ユーロスペース、大森キネカなどで上映。横浜時代に知り合った美智子と婚姻届けをだす。
1986 フリーランスの演出家デビューし、ビデオ作品、プロモーション、TVなどバブル経済のお陰で多数演出。
1989の暮れに読んだシャーリーマクレーン著「アウトオン ア リム」に感動し、ニューエイジに傾倒していく。
1990.1始めての海外ロケでサウジアラビアへ行くこととなる。すでに「人生は必然でできている 」信望者の私に過去生やシンクロニシティ感覚が高まった。
1991.1 サウジアラビアへ行ってからちょうど1年後、湾岸戦争は日本を巻き込んで勃発した。この時、私と世界は常に繋がり連動していることが確信となった。
1991.8 ファイヤーウォークのセミナーを受講し、火を渡る前に体験したブリージング体験以來、呼吸の面白さに魅了される。その年の12月、夏のファイヤーウォークをリードしたスティーブン・グゼビエ氏による天河ファイヤーウォークのワークショップに同行取材し、ビデオ作品「ファイヤーウォークin天河」の 監督を務める。
この時ビデオに出演していただいた天河神社柿坂宮司とのご縁から龍神系神社との深い関わりがスタートする。宮司からは「太陽も月もない、火も水もない統合された世界がやがて統合の世界が訪れることでしょう」と告げられる。以來、相反するエネルギーを統合する役割を担い、陰陽の世界観を見ていくこととなる。
1992 スティーブグゼビエのレイキワークショップをディグリーIIIまで修得
1994 スティーブンの師匠であるマイケル・スカイに指事し、Circular Breathing Trainingを修得し、ブリージングファシリテーターとなる。この年、娘が水中出産で生まれる。以來、それそれの出生と人生とはどのような必然の糸で結ばれているかを探求し始める。
誕生とは自分時間(リソース)に至るための象徴的なイニシエーションとなっている可能性が見えてきた。
1995 ブリージング各種ワークショップの傍ら、娘が生まれた片桐助産院で妊婦のための教室「呼吸」をスタートさせる。以來、片桐弘子先生のもとで出産・誕生への見識を広げてゆく。
1996 前田美智子によりレイキマスターの資格取得。片桐助産院にて助産師対象のリバーシングワークショップを開催。
以來、セラピスト、トレーナー、リバーサー、ファシリテーターとして個人セッションとグループワークを手がけ今に至る。
1998 天河ブリージングを開催。以來、不定期開催。
2000 横浜バースハーモニーにて現在のマタニティーブリージングの原型をスタート。以來、池川クリニック、福岡市、七尾(石川県)、津久井(相模原市)、日野春(山梨)、沖縄のゆいクリニック、久米島などで不定期開催。
2014 福岡でブリージングプラクティショナー養成講座を開始。
2014 沖縄 久米島にてグループリバーシンク開始、以來、不定期開催。
2015 江ノ島にてブリージングプラクティショナー養成講座を開始。
2016 サイトにて呼吸の学校立ち上げ
2019 東京都日野市程久保(多摩動物公園)に呼吸の学校を設立。