集団過呼吸は感情解放プロセスへの共鳴である

集団過呼吸が増えている。「2010.6,30東京渋谷区のゲームセンターで18〜24才の女性従業員6人が過呼吸となり病店へ運ばれた」

上記内容は朝日新聞に報道されたものです。どうしてこのニュースのように集団で過呼吸が起きるのか? あるスクールカウンセラーとのメール書簡を通じてブリージングセラピストの立場から原因を探ってみたことがあります。

 

解放プロセスへの共鳴


私は、大阪の高校でスクールカウンセラーをしています。実は、前年度、この高校の生徒がバスで移動中にバス中が過呼吸になり驚いた先生がバスごと救急病院に乗り付けたという出来事があったようです。その後も、多い日で26人がいっぺんに過呼吸発作を起こし、保健室や職員室・校長室まで倒れた生徒で満杯になったと聞きました。幸い、今は落ち着いた状態になっているのですが、先生や生徒たちの中では、またあんな状態になったらどうしようという不安が高く、そのあたりのメンタルヘルスも兼ねて、今年カウンセラーが派遣されました。私は、どこまで学校の役に立てるのかよくわからないのですが、集団で過呼吸が起きて、その後の経過などもわかるような文献を探していたところ、前田さまのHPを拝見してメール差し上げた次第です。  ホームページの中で、アメリカの小学生と日本の小学生の集団過呼吸についての記述がありましたが、この件について詳しく知りたいのです。どのような文献をあたればよいでしょうか。                                   (スクールカウンセラーのSさんのメールより)

【上記メールに答えて】

前田です。

アメリカの小学生と日本の小学生の集団過呼吸はおよそ20年前、TVの報道特集でしりました。

私自身は集団過呼吸の症例にかかわったことはありません。ですから具体的な要因については推測でしかないのですが、考えられることは乗り物という限られた空間のなか、学校という閉塞感を感じやすい環境においてストレス解放のプロセスに生徒達が一斉に共鳴したんだろうと思います。
一人の過呼吸により始まった自己救済のプロセスが他の生徒の慢性的なストレスを刺激しヒーリングの渦を作り出したのでしょう。個の感情解放のプロセスは全体の潜在的に希求してやまない自己解放臨界点を刺激してしまい、その結果が集団過呼吸を引き起こしたんだと思います。その時すでに全体としても、ある飽和状態にあったかもしれません。
団体としてバスにどのような目的で乗っていたのか?バスに乗る前に個人にあるいは全体にどのようなことが起きていたのか?走っているバスの中では何が起きていたのか?支配的な雰囲気があったとすれば、それがどのようなものだったのか?また当時グループのコントロール体制がどのように 管理されていたのかも分かれば、集団過呼吸が起きやすい条件が見えてくるでしょう。 緊張状態の中で起きたことなのか?逆にある種の一体感の中で起きたことなのか?も分かるといいですね。
誘発条件がわかれば、それに対する予防策は取れるといえますが、改善策が学校の教育方針などとかかわってくる場合は時間のかかることでしょう。このことは日本の教育のおかれている現状と直面するため、中には消極的な意見も出たりして集団過呼吸への対処は遅れるかもしれないですね。学校側としてはどこまでこの事柄についてコミットしているかが問われることとなります。


手放せない感情への共感


生徒個人個人の抱えてる悩みは、それぞれに違います。家族のこと、進路のこと、友人のことなど様々でしょう。がまんを重ねてきた子、いい子を演じ続けてきた子、いいたいことがいえない子、泣いてはいけないと思っている子、大声を出す機会が無い子、などの感情を手放す機会と場所をえられない子達だと思います。あるいは感情を手放しても受け取ってもらえない子達でしょう。気持ちを受け取ってもらえないことに対して諦観している子達もそうだと思います。今簡単にあげた傾向は、あかちゃんや幼児時代からの両親とのかかわりが大きく影響していることでしょう。個々への対応はおそらく、先生のご専門だと思いますので、ご自分を信頼して生徒の相談役になってあげてください。
現実的な対処としては、大人が過呼吸に対する認識を変えていくことです。子ども達にもどうして過呼吸は起きたのか、過呼吸はヒーリングのプロセスを参考に話してあげてください。まずは、また起きたらどうしようという二次的予期不安に陥らないことです。起きてはいけないこととして扱うのではなく、手放せない感情、癒されない思いがあるんだという事実に共感することにあります。「大変だったね、頑張ってきたんだね、泣きたいこともあるよね」とただ共感するやり方で受け入れていけば、具体的な個々の抱えている悩みも次第に明らかになるでしょう


個人的な体験と、全体として感じた体験


集団でブリージングをしている状態は予備知識がない人たちが見ると、一体何事だと慌ててしまうことは容易に想像できます。バスの中でその状態と遭遇した先生の驚きと混乱振りは手に取るようにわかります。私と先生の違いは過呼吸がヒーリングのプロセスの始まりであるかどうかを認識できているかどうかの違いだけなのです。グループワークの場合、一人の感情の解放が全体に及ぶことは、癒しの場においてあらかじめ予測している大きな効果だと言えます。Sさんもご承知だと思います。これも安全な場所で行うからこそ成立するプロセスですから、バスの中で対処できることは病院へ乗り付ける以外になかったことでしょう。
少し専門的なことを言えば、生徒一人一人に起きたことは身体的にも感情的にも違っているということです。突然自分に起きたことが理解できずにパニックに陥ることが、結果的にヒーリング効果を自覚できなくさせていることでしょう。実際には解放感を感じた生徒もいるかもしれなので、その可能性についても伝えてもいいかなと思います。
個人的な体験と、全体として感じた体験はそれぞれにあるかもしれません。

 


集団リバーシングの可能性


ここでひとつの専門的な見解を述べさせていただければ、乗り物に乗っている状態は物理的にリバーシングを引き起こしやすい状態が作られるという可能性です。揺れることで子宮の中の羊水に浮かんだ心持ちになり、実際に誕生のプロセスを体験することがあります。
寝台特急の夜汽車に揺れながら起きた人もいるし、私は時化にみまわれた長い船旅でそれを体験しています。乗り物の揺れ方と限られた空間が新幹線の例、今回の例の共通性として感じられます。 
新幹線内で小学生達に起きた集団過呼吸の始まりは、修学旅行の帰途の最中でした。ホームシックにかかっていた小学生がもうすぐ母に会えるという期待と安堵感とともに、緊張が一気に緩んだ瞬間がひとつの吐く息だったかもしれません。それが呼び水となって全体で共感されたかもしれません。
高校生にそんな可能性があるのかということについては、ありうるでしょうと答えます。 
小学生たちの延長線上にあるのが高校生達だと想像してみてください。現在では赤ちゃん帰りする大学生が増え続けているし、成人の赤ちゃん帰りも私は扱っていますので、高校生でも充分可能性はあります。

 

                              (続く)

 

参考

 

リバーシング とは?

 

子供時代からの呼吸の癖=心の癖について →過呼吸はヒーリングのプロセス

                     →意識的な呼吸の大切さ