金環日食で確信した統合

浅間神社にて敢行した?した金環日蝕の撮影。

そう。撮影は危ぶまれた雲行きだったし何よりも観ることすらできないかもしれないし・・・。

前日ぽっかりと空いた東の空をロケハンしてまわり、浅間さんの空がベストだと決め込んでわくわくしていたのに・・・この雲行きはないだろ、と。

 

私の不安を他所に雲の合間からその姿が現れたたときは感動ものでした。

危ぶむれた曇り空のおかげで天然のフィルターが出来上がり、必要充分な太陽光となり裸眼で観ることと日蝕撮影が可能となったわけです。

 

流れる雲から透けて見えた月と太陽の直列は私の足下の地球にまで見事に一直線で繋がっていました。そして感謝と歓びの情が沸き起こりました。

 

この時、はっきり理解できたことは文字通り全ては繋がっているということが多くの人に根づいていくだろうということ。

今後さらにその繋がりの実感は眼に見えたものになるだろうという歓びの予期感。

 

その実感をもたらしてくれたのは太陽と月と地球の統合のセレモニー、"金環日蝕"をアシストした雲と風を動かす大気でした。

これで火(日)と水(月)と地(地)と風(空)の揃い踏みとなります。

 

思えば2000年のシドニーオリンピック開催セレモニーは聖火を水の中で燃え咲かせる演出で火と水の統合の幕開けが告げられたと、当時は感慨もひとしおでした。その12年一巡りした今、統合のエネルギーは確実に動き出したとの思いが撮影する私の中で沸き起こりました。

 

太陽は「永遠」

月は「今」

 

金環日蝕は「今」が「永遠」を上回るパワーを得たことを意味する。

 

                   ージョナサン・ケイナー

 

しかも「今」=変化は完全に光を消すことなく美しい金環として「永遠」も残してみせた・・・

これが統合のセレモニー"金環日蝕"が見せてくれたショーの核といえるでしょう。

 

私の中のアマテラス、月読み、スサノウもほんとに仲良しになりました。

その朝、街行く人達の間で電車の中で「見た?」「見たー」が普通の挨拶のように飛びかっていました。

主語がなくとも「見た?」が愛おしい合い言葉のように響き合ったこの朝のことは私の中の統合とともに忘れることはないでしょう。